前のコラムで、憲法27条1項に定める「勤労の義務」と「勤労の権利」について考察しました。そこでは、「人が何のために働くのか?」という問いについて、「経済的価値」「精神的価値」「普遍的価値」の三つの側面があると述べました。
「経済的価値」は、お金が必要だから、良い生活をしたいから、といった理由によるものです。
「精神的価値」は、他人の評価や名誉、承認、所属といった目的のためです。
そして今回紹介する「普遍的価値」は、自己実現といった目的のためです。
この「普遍的価値」は、憲法27条の勤労の権利のみならず、憲法21条1項の表現の自由によっても保障されていると考えることができます。
今回は、この「普遍的価値」について、「勤労」と「表現の自由」の関係から考察したいと思います。
表現の自由とは?
まず、表現の自由について簡単に見ていきましょう。
表現の自由は、憲法21条1項に規定されています。憲法21条1項は以下の通りです。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
憲法に規定された人権が重要であることはもちろんですが、表現の自由は人権の中でも特に重要とされています。
その理由は、表現の自由が、自己実現の価値、自己統治の価値に資することや、民主的な政治過程の維持に重要な役割を果たすこと、などが挙げられます。
すなわち、表現の自由は、表現活動を通じて自己の人格を発展させていくこと(自己実現の価値)、表現活動を通じて政治的な意思決定に参画すること(自己統治の価値)、そうした国民の多くの意見や批判が政治に反映されていくという民主的な政治過程を維持すること、といったことを根拠として特に重要な人権であると考えられています。
勤労と表現の自由の関係とは
勤労、すなわち働くことは、自己実現の価値を持ちます。自己実現の価値を持つ勤労は、勤労の権利のみならず、表現の自由によっても保障されます。
表現それ自体が職業である芸術家やミュージシャンなどの活動が、表現の自由によって保障されることは何となくイメージが沸くかと思います。
しかし、プラットワークスの考えでは、そうした表現活動に直結する職業以外の者の仕事も、表現の自由によって保障されます。例えば、金銭を伴わない就労活動(家事やボランティア、地域の社会活動など)もここに含まれます。
いかなる職業であれ、人々が働くことで「普遍的価値」を得ることができ、これは自己実現の価値に資するものとなります。
また、いかなる職業であれ、働くことは、社会とのつながりを持つことにもなります。社会とつながりを持つことで、人々は意見を通わせ、様々な知見を得ることができ、さらに自身の仕事を通じて、他者からの共感を得たり、他者の心を動かすなどの影響を及ぼします。こうした自身の行為によって、他者に影響を及ぼす活動は、まさに表現行為と言えるでしょう。
このように、勤労は自己実現の価値を有しており、他者に影響を及ぼす表現行為としての側面を持ちます。
したがって、勤労は、憲法の21条1項の表現の自由によっても保障されると考えられます。
まとめ~ベーシックインカムの時代を見据えて~
古代ギリシャでは、市民は国政に関する事項を自分たちで直接決めていました。しかし時代が進むにつれ、社会の複雑化に伴い、決めるべき事項が複雑多岐にわたるようになりました。また、人々は仕事などが忙しくなり日々の生活に忙殺されるようになりました。そのため、国政に関する事項は代表者に決めてもらい、その代表者を国民が選ぼうという間接民主主義が採られるようになりました。
しかし、さらに時代が進み、現在はベーシックインカムの議論が出始めています。また、人々は、マスメディアやインターネットを通じて、様々な情報を入手することができるようになりました。ベーシックインカムにより人々はより自由な働き方ができるようになり、勤労の「自己実現」の側面がより強調されるようになる時代が訪れることが予想されます。そうした時に、時間にゆとりができることで、これまで触れてこなかった新たな就労活動や社会活動に従事する機会が増え、同時に人々が勤労を通じて社会に新たな物事や考え方を広げることで、それは表現の自由の「自己統治の価値」にも資することになるのではないでしょうか。
古代ギリシャのような直接民主主義に戻すことはできなくても、個人の日々の「勤労」から何らかの形で政治的な意思決定に参画することもあり得るかもしれません。
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