もくじ
「従業員から希望された日に有給休暇を取らせると、現場が回らなくなる……」と頭を悩ませ、時季変更権の行使を検討したものの、従業員とのトラブルを恐れ躊躇するケースも少なくありません。
時季変更権は有給を拒否する権利ではなく、あくまで取得日を後ろにずらす権利であり、その行使も「正常な事業の妨げになる場合」に限られています。
働き方改革に伴う「有給休暇の年5日取得義務化」や深刻な人手不足も相まって、この時季変更権をめぐる労務トラブルも増えています
企業が法的なリスクを避けつつ、業務を円滑に進めるにはどうすればよいのでしょうか。
本コラムでは、法律の背景や欧米との比較、裁判例を交えながら、時季変更権について分かりやすく解説します。
1.時季変更権の法律上の定義
(1)有給休暇の時季を特定する3つの方法
時季変更権を正しく理解するためには、労働基準法における有給休暇の原則を知る必要があります。
労働基準法は有給休暇の時期を特定する方法として、3通りの方法を定めています。
① 労働者の時季指定(原則)
労働者自身が「この日に休みたい」と指定して取得する方法。
② 計画的付与制度(労使協定による計画消化)
年次有給休暇の付与日数のうち5日を除いた残りの日数について、労使協定を締結する等により、計画的に休暇取得日を割り振ることができる制度。
③ 使用者の時季指定(年5日の確実な取得義務)
年10日以上の有給休暇が付与される労働者に対し、会社が時期を指定してでも年5日を取得させる義務。
時季指定に当たっては、労働者の意見を聴取しなければならず、また、できる限り労働者の希望に沿った取得時季になるよう、聴取した意見を尊重するよう努めなければなりません。
(2)「時季指定権」と「時季変更権」の関係性
労働基準法39条5項
「使用者は、前各項の規定による有給休暇を労働者の請求する時季に与えなければならない。
ただし、請求された時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季にこれを与えることができる。」
条文の前半にある通り、年次有給休暇は「労働者が指定した時季に与えなければならない」というのが大原則です。これを労働者の「時季指定権」と呼びます。労働者が休暇を申請した時点で、その日は原則として休みとなります。
しかし、いつでも労働者の希望通りに休ませてしまうと、会社の業務が完全にストップしてしまうような事態が起こり得ます。
そこで条文の後半では、例外的な措置として、請求された時季に有給休暇を与えることが「事業の正常な運営を妨げる場合」に限り、会社は具体的・客観的な判断のもとで休暇の日を別の日に変更できると定めています。これを使用者の「時季変更権」といいます。
「事業の正常な運営を妨げる」か否かは、当該労働者の所属する事業場を基準として、事業の規模、内容、当該労働者の担当する作業の内容、性質、作業の繁閑、代行者の配置の難易、労働慣行などの諸般の事情を考慮して判断すべきとされています。
(此花電報電話局事件 大阪高裁判決昭 57.3.8)
2.【最新データと裁判例】有休取得率の過去最高更新と、時季変更権を巡る法的リスク
(1)日本の有給取得率
次に「なぜ今、改めて時季変更権の正しい理解が求められているのか」という背景を見ていきましょう。その最大の要因は、近年の有給休暇取得率の上昇です。
厚生労働省が発表した「就労条件総合調査」の最新データによると、日本の労働者1人当たりの年次有給休暇取得率は66.9%(平均取得日数12.1日)となり、統計史上過去最高を更新しました。
労働者1人平均年次有給休暇取得率の年次推移

取得率増加の背景には、2019年の法改正による年10日以上の有給が付与される全労働者に対して、企業が時期を指定してでも年5日を取得させることが義務付けられたことに加え、
近年のワークライフバランス重視の風潮から、企業が人材の採用や定着のために主体となって有給消化を促す環境づくりを進めたことも、大きな後押しとなっています。
(2)単なる「人手不足」では行使できない?判例に学ぶ リスク
従業員が自由に有給消化できるようになった反面、企業側は欠員が出た際の業務調整に追われることになります。
しかし、単に「人手不足だから」という理由だけで時季変更権を行使することは認められません。実際の裁判例を見てみましょう。
西日本ジェイアールバス事件(金沢地判平8.4.18)
慢性的な人手不足や、それに伴う運休リスクを理由に会社が有給の「時季変更権」を行使した事案です 。
裁判所は、人員不足が常態化している状態は法律上の「事業の正常な運営を妨げる場合」には当たらないと判断 。
会社側が代替要員の確保努力を怠っていたことから行使を違法と結論付け、25万円の損害賠償(慰謝料)の支払いを命じました 。
このように、単なる人員不足を理由にした時季変更権の行使はリスクを伴います。
企業には、日頃から有給を取りやすい人員体制を整えることや、どうしても休ませられない場合の代替要員を探す努力が求められます。
会社がなんとか人員調整しなければならないという日本の常識は、海外から見ると少し特殊に映るかもしれません。
3.なぜ日本は会社に厳しい?欧米の「バカンス文化」との構造的な違い

日本の法律や判例が、なぜ会社側に厳しい条件(代替要員の確保義務など)を課すのでしょうか。日本と欧米での有給休暇の違いについてみていきます。
ILO第132号条約では「年次有給休暇は、1年の勤務につき最低でも3週間(第3条)」とされています。
本条約では年次有給休暇の分割されても良いとしていますが、労使間での定めがある場合を除き、 少なくともその一部は中断されない2週間から なるものとすべきこと 等を規定しています。
また、病気やけがによる欠勤日は、一定の条件下で年休の一部として数えないことができるとしています。
ILO条約132号条約を批准しているフランスやドイツなどの欧米諸国では、有給休暇は「2〜3週間の長期バカンス」として取得する文化が歴史的に定着しています。
年始や数ヶ月前から「この期間に休む」という計画を会社と労働者で合意の上決定するため、会社側はあらかじめその従業員がいない前提でスケジュールを組みます。
つまり、前もって時季を決めているため、一度決まった予定を会社都合で一方的に取り消したり、別の日に変更したりすることは原則として認められません。
直前になって「人手不足で困る」という事態が起きにくい仕組みとなっており、日本のような「時季変更権」は存在しません。
一方で日本では、伝統的にまとまった長期休暇を取る文化がなく、「体調不良」や「急な私用」のために、労働者が個人の判断で「1日単位」で有給取得が主流です。
労働者側がいつでも有給を請求できる権利(時季指定権)を持っている反面、会社側は突発的な欠員リスクに直面することになります。
もし日本の法律で、会社が繁忙期を理由に有給取得を拒否できるようにしてしまうと、労働者はいつまで経っても有給を使うことができなくなってしまいます。
そのため、日本では時季変更権をつかう企業に対して日頃からの人員体制の整備や、具体的な代替要員確保の努力を尽くすことが求められています。
実務で揉める「退職前の引継ぎなし有休消化」
トラブルとして多いのは、退職時に残った30日ほどの有給を、引継ぎをせずに消化して辞めるというケースです。
会社には有給の日時を変えてもらう「時季変更権」がありますが、これはあくまで「在籍期間内での変更」に限られます。
退職日を過ぎれば変更する日が残っていないため、どれだけ現場が人手不足で困窮しようとも、労働者の請求通りに有給を与えなければなりません。
こうした場合、残されたメンバーの負担増だけでなく、顧客からの信用失墜などのリスクを伴います。
4.時季変更権に頼らない!「休みを前提に生産性を上げる」先進企業の成功事例
特定の人が休むと現場がまわらない状態のまま、時季変更権に頼ろうとするのは根本的な解決になりません。
有休取得を推奨しながら、生産性を向上させている企業の成功事例を見てみましょう。
事例:SCSK株式会社
IT業界は慢性的な長時間労働や有休取得率の低さが課題となりがちですが、同社では「有給休暇取得率100%」と「残業削減」を同時に目指す「スマートワーク・チャレンジ」を実施しました。
有休取得の促進策として、労使で「有休取得率100%」の目標に合意し、カレンダーを用いた休暇計画の可視化や、連休の谷間を「一斉有休取得日」とする取り組みを実施しました。
さらに、プロジェクトの区切りに取る休暇やメモリアル休暇を整備したほか、育児・介護との両立を支えるため、上限3日間の「時間単位年休」も導入しています。
同時に業務効率化を進めるため、残業削減によって浮いた手当の総額を目標達成部門の賞与として全額還元するインセンティブ制度を実施しました。
この「しっかり休んで成果を出す文化」への転換により、2022年度には年次有給休暇取得率91.8%という高い実績を達成しています。
さらに、働きやすい先進企業として広く認知されたことで、新卒採用の応募者数が約1.5万人から2.7万人へとほぼ倍増し、優秀な人材の獲得・定着という大きな経営成果に繋がっています。
参考:厚労省 働き方・休み方改善ポータルサイト
SCSKの働き方改革。 働きやすい、やりがいのある会社へ
このように時季変更権がそもそも発生しない有給休暇取得の仕組みづくりにより、有給休暇の取得率向上だけでなく、計画的な人員配置と業務運営が実現できます。
5.時季変更権を必要としない組織へ
特定の社員が休むと現場が回らない状態を脱するには、手順のマニュアル化やチーム担当制の導入なども有効な方法の一つです。
先進企業の事例にあるように、業務の効率化と休暇計画の「可視化」を同時に進めることで、時季変更権を使わずに済む休みを前提とした組織づくりが可能になります。
また、企業側の体制整備だけでなく、従業員に対するアナウンス も必要です。たとえば長期休暇を取得する場合は、数か月前に申請するルールを社内規定などで明確化し、労使間で事前にスケジュールを共有・合意する運用です。
労働者側にも計画的な取得を促す「事前の仕組みづくり」を並行して行うことが、突発的な業務の停滞や労務トラブル防止につながります。
プラットワークスは、「誰がいつ休んでも回る柔軟な組織」づくりや、法改正に準拠した労務環境づくりをサポートいたします。
退職時の有休消化や時季変更権を巡るトラブルなど、現場の判断に迷う労務リスクもまずはお気軽にご相談ください。



